マリ共和国私はマリ共和国に住む2歳の女の子のスポンサーです。彼女の住むマリ共和国、その国をご存知ですか? <地理> マリ共和国は西アフリカのサハラ砂漠南西部に位置する広大な内陸国です。 一年を通じて乾燥しており、国土の半分は砂漠又は半乾燥地帯です。地形 は全体的に緩やかで、南部を東西に抜けるニジェール川の両岸や湖沼など のデルタ地帯、南部地方を除くと、全体的に土地はやせています。 <歴史> 1920年にフランスの植民地となり、1960年に独立を果たしたマリ は、社会主義路線の一党政党制国家として出発しますが、1968年クーデターが勃発。軍部が政権を掌握しトラオレ中尉が大統領に就任し独裁が続きましたが、1991年のクーデターにより政権は打倒されました。 <教育事情> 初等教育は9年間あり、第一段階が6年、第2段階が3年です。 その後中等学校や専門学校へと進みます。進級するには必ず試験があり、合格しなくては上がれません。公立校の授業はフランス語で行われますが、アラビア語で行うメデルサという学校もあり、イスラム教に重点を置いた科目を教えています。 <経済> 主要産業は落花生・綿花などの農業、リン鉱石などの鉱業で、就業人口の約80%が農業・牧畜業に従事しています。政府は世界銀行や国際通貨基金と協力して経済政策を進め、国民の生活水準の向上に取り組んできましたが、2000年意向の原油価格の上昇や、主要輸出品である綿花の国際価格の下落によって。経済的に大打撃を受けています。 <保健事情> マリにおける5歳未満の子どもの死亡率は、他のサハラ以南アフリカの1,4倍、中南米の6倍と高く、深刻です。死亡原因の30%がマラリヤで、急性呼吸器系疾患、下痢、栄養不良と続きます。これらの病気の原因は様々ですが、特に安全な飲み水を手に入れることが難しいことが大きな要因と考えられています。 <家族> 祖父母、父母、おじ、おば、甥、姪、親しい友人なども含む拡大家族です。 父系制社会であり、最年長の男子が家長となります。イスラム教では男性が4人まで妻を持つことを認め、一夫多妻制をとる家族が一般的です。このような家族では、それぞれの妻に夫や子どもに対する権利と義務が与えられ、役割分担がなされます。 <衣服> 女性の普段着は、薄手の綿ブラウスに腰布「サロン」、頭にネッカチーフというスタイル。これに一枚布で子どもをおんぶする母親たちの姿がよく見受けられます。男性の普段着は長袖の長い上着「ブーブー」と、ゆったりしたズボンです。子どもの場合は、女の子は小さなサイズのサロン、男の子はズボンか小さなブーブーを着ます。年少の子どもは服を着ていないことが多いようです。 <日常生活> 家族の中で最も早起きなのは女性たちです。彼女たちの1日は朝の5時から始まります。まず火を起こし、朝食を作ります。やがて男性や子どもたちも起き、お粥中心の朝食をとります。女性は薪集め、水汲み、掃除、食事の支度、脱穀、買い物、庭の手入れ、子どもの世話などが毎日の仕事です。 男性は、雨季の間は畑で働き、長い乾季の間は泥の家を建て直します。子どもたちは兄弟の面倒をみて、母親の手伝いをします。外が暗くなり、夕飯を食べ終わる7時ごろに、彼らの一日が終ります。 <食事> 食事は1日3回です。主食は朝食に「モニ」、昼食に米や「クスクス」、夕食に「トウ」を食べます。「モニ」は小粒のアワやキビ、トウモロコシなどで作るお粥です。「クスクス」は小麦粉を少量の水と混ぜ、小さな粒にして蒸したものです。米やクスクスには家長の好みや経済力に応じて肉、ピーナッツ、野菜ソースなどを添えます。「トウ」はアワやキビ、トウモロコシなどで作る弾力性のあるパンで、オクラや調味料で作ったソースをつけて食べます。この他にマンゴー、オレンジ、バナナ、じゃがいも、ヤムいもなどを時折食べます。魚や肉、砂糖は高価なので日常の食卓では見かけません。 ジャンル別一覧
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